人を苦手に思う時

少し考えてみましょう。

「人と話すの嫌い」      ・・・・なんでだっけ?  自分は なぜそう思っているんだっけ? いつからだったかな。

 

 

 

たとえば 「人が嫌いだから」 「人と話すのが苦手だから」 「人づきあいがヘタだから」    

たとえば 「傷ついた事があるから」 「気を使うから」 「何を話して良いか分からないから」 「疲れるから」「めんどくさいから」

 

 

そんな場合、私には、あなたはとても優しい人に思えます。

感受性が豊かな人に思えます。

 

たぶん、あなたがどんな事を答えても、あなたは感受性の豊かな人という事になるのだと思う。

 

 

人づき合いは 自分を守る事とのバランス の上に成り立つ。

自分に対する感覚が鋭い人も、 

他人に対する感覚が鋭い人も、 

やりづらい。 無理もない。

 

でも逆に、その感覚はギフトでもある。 

他人に対して深い愛を持てる。 

繊細な事に気づく事ができる。

怖がっている人は 優しくされたら嬉しい。 

寂しさを感じている人は 気づいてもらえたら、ひとりじゃないって思える。

深い感覚を受け入れたら、深い人生を歩ける。

 

 

 

だから あなたも、 

そうやって 傷ついている自分を、

かわいいと 思えたら良いね。

こんな 素敵な人だと 知れたら良いね。

 

 

 

 


だって、「もうやだ!人と関わりたくない!」 って思っても、

 

こんなに苦しくなるほど、人に良く見られたり、受け入れられたい自分がいる。他人を気にしちゃう自分 がいる。  それって とても可愛いと思いませんか? 

 

 「認められたい、良く思われたい」そんな自分なんて大嫌い。くるしい。

・・・そっか、そのままだとちょっと大変かもしれないね。

もちろん今のあなたが大変じゃないならそれで良いけれど、これを読んでいるって言う事は、もしかしたら既に、ちょっと大変と感じているのかもしれない。

 

 

認められたい、良く思われたい、それで良いと思います。だって、あなたは人間なんだもの。ひとりでは大人になれない人間だもの。赤ちゃんのころは 周囲の人に助けてもらって育つ人間という生き物。たくさん触ってもらって、たくさんかまってもらって育つから、人が好きで当然。 人といたくて当然です。  

 

 

 認められたい、良く思われたい」そんな自分なんて大嫌い。 それも良いと思います。だって、いま、そう感じているんだもの。それを否定したら、そのエネルギーが、感覚が、かわいそう。「人が嫌いで、そして苦しい。」それなら自分の感情を、そのまま感じてみてください。踏み込まなくて良い。ただそこにある感覚に気づいていく。自分の感情や思いに注意を向けた時、身体のどこかに感覚があるのを感じることはできますか。その感覚を感じ続けることはできるかな。

 

 

あるがまま。あなたはあなたのままで良い。

 

 

人によく思われたい自分、人との付き合いを嫌っている自分を、少しずつで良い認めましょう。でも、それにはもっと「自分」を知らないとね。どんなときに嫌なのか、どんなときに嬉しいのか。実は実は、あんまり自分の事知らないだけかもよ。知らない人は良く分からない。好きになれないし、認めるもなにもねぇ・・。普通なことだよ。一番親しいように見えて、長い付き合いに見えて、実は分からない自分の事をたくさん知ったら、きっと自分を好きになって自分を大切に思える。 

 

あなたはさらに よく在ろうとしている。

その勇敢な旅、 微力ながらお手伝いさせて頂きます。

 

 


自分を知る。 そしたらあなたは あなたを好きになる。 

好きになるまで、知り続ければ良い。